2006年 10月 05日
カブトムシ君への感謝状(長文&シリアス調) |
朝、ムスメを幼稚園に連れて行くとき、
玄関先でムスメを叱っていた。
うまく時間配分が出来ていないのは自分だってそうなのに、
ムスメよ、ごめん。
あの時、ムスメはただ一人玄関先のカブトムシがひっくり返ってるのを見ていた。
叱り終えて幼稚園に送っているときにポソリとカブトムシのことを私に告げた。
私は帰ってきてからあわててひっくり返っているカブトムシを戻した。
カブトムシは、後ろ足がもう動いていなかった。
体の方向転換するのにも一苦労だった。
もしかしたら、今日で天に召されるかなという予感がして
主人にもメール。
主人も朝早く、会社に行くときにひっくり返っているのを直していったそうだ。
このカブトムシを家に持ち帰ってくる時、
ムスメが大事そうにカブトムシを入れたビンを抱えていた姿を思い出した。
あんなところで叱ってないで、カブトムシを少しでも早くひっくり返してあげればよかった。
ムスメも、あれでカブトムシを見るのが最後かと思うとすごく心が痛んだ。
心配で何度も飼育箱を覗いたけど、だんだん弱っている。
昼には角を上下にかすかに動かしているだけになってしまった。
まるで何かを祈るかのように見えた。
カブトムシに「おねえちゃんが幼稚園とスイミングから戻るまで、
なんとか頑張って生きていてね」と祈り、
1時過ぎに幼稚園のお迎えに出てその足でスイミングに出かけた。
カブトムシはそのまま角を上下に静かに動かしていた。
首を振る姿は、うなずいているみたいだった。
おねえちゃんを含む私たちが家に帰ってきたのは4時前。
靴を脱ぎ、手も洗わずにそのまま観察箱をリビングに運びみんなでカブトムシを見る。
まったく動かない。
机の上にそっと出すと、一瞬身体がピクリとして、その後触角だかヒゲだかを
凝視しないとわからないくらいに「ぴく…ぴく…」と動かしていた。
まだ、かすかに生きていたのだ。
でもしばらくしたら、もう何も動かなくなった。
ムスメ×2人は号泣。
おねえちゃんは机の上のカブトムシを手でやさしく囲むようにして泣いた。
恥ずかしながら、私も涙目になる。
だってムスメが戻るまでちゃんと生きていてくれたのだから。
それだけでも感謝だ。
このカブトムシは先月港区のスーパーの駐車場の車のタイヤの下で主人が発見した。
あのまま連れて来ないほうがよかったのか、ここに来てよかったのかは
誰も知る由もない。
短い間だったけど、我が家では初めて生き物を飼育する機会に恵まれた。
主人も童心に返り、家族みんなが盛り上がった。
今日ムスメ達が流した涙は本当に何事にも代えられないと思う。
先日パーティーコンパニオンの仕事をしたときに
50代くらいの経営者のおじさま達が「昔はカエルを風船のように膨らまして遊んだ」、とか
「カエルの足をエサにしてザリガニを釣った」という話で相当楽しそうだった。
でも、ああいう子供時代の昆虫などの残酷な犠牲があって、
命の大切さを学んだともおっしゃていた。
最近の子供は生き物と接する機会もぐんと減ってしまった。
身近な生き物といってもおうちの中で昼夜を過ごす
洋服を着たワンちゃん達だから残酷な犠牲なんて絶対ありえない。
それとは反対に、ゲームの世界では命はどんどん抹殺されてはまた新しい命が生まれてくる。
たまごっちのキャラが死んでしまっても、
ムスメはあーあ、と思うだけで泣かなくなってしまった。
子供を育てていく上で、いろいろな伝えたいことがうまく教えてあげられなくて、
たまにどうしていいかわからなくなる。
そんな中で、カブトムシ君、君の今回の功績は非常に大きいのである。
ここに感謝状を贈りたいと思います。
ありがとう、またいつかどこかで。
玄関先でムスメを叱っていた。
うまく時間配分が出来ていないのは自分だってそうなのに、
ムスメよ、ごめん。
あの時、ムスメはただ一人玄関先のカブトムシがひっくり返ってるのを見ていた。
叱り終えて幼稚園に送っているときにポソリとカブトムシのことを私に告げた。
私は帰ってきてからあわててひっくり返っているカブトムシを戻した。
カブトムシは、後ろ足がもう動いていなかった。
体の方向転換するのにも一苦労だった。
もしかしたら、今日で天に召されるかなという予感がして
主人にもメール。
主人も朝早く、会社に行くときにひっくり返っているのを直していったそうだ。
このカブトムシを家に持ち帰ってくる時、
ムスメが大事そうにカブトムシを入れたビンを抱えていた姿を思い出した。
あんなところで叱ってないで、カブトムシを少しでも早くひっくり返してあげればよかった。
ムスメも、あれでカブトムシを見るのが最後かと思うとすごく心が痛んだ。
心配で何度も飼育箱を覗いたけど、だんだん弱っている。
昼には角を上下にかすかに動かしているだけになってしまった。
まるで何かを祈るかのように見えた。
カブトムシに「おねえちゃんが幼稚園とスイミングから戻るまで、
なんとか頑張って生きていてね」と祈り、
1時過ぎに幼稚園のお迎えに出てその足でスイミングに出かけた。
カブトムシはそのまま角を上下に静かに動かしていた。
首を振る姿は、うなずいているみたいだった。
おねえちゃんを含む私たちが家に帰ってきたのは4時前。
靴を脱ぎ、手も洗わずにそのまま観察箱をリビングに運びみんなでカブトムシを見る。
まったく動かない。
机の上にそっと出すと、一瞬身体がピクリとして、その後触角だかヒゲだかを
凝視しないとわからないくらいに「ぴく…ぴく…」と動かしていた。
まだ、かすかに生きていたのだ。
でもしばらくしたら、もう何も動かなくなった。
ムスメ×2人は号泣。
おねえちゃんは机の上のカブトムシを手でやさしく囲むようにして泣いた。
恥ずかしながら、私も涙目になる。
だってムスメが戻るまでちゃんと生きていてくれたのだから。
それだけでも感謝だ。
このカブトムシは先月港区のスーパーの駐車場の車のタイヤの下で主人が発見した。
あのまま連れて来ないほうがよかったのか、ここに来てよかったのかは
誰も知る由もない。
短い間だったけど、我が家では初めて生き物を飼育する機会に恵まれた。
主人も童心に返り、家族みんなが盛り上がった。
今日ムスメ達が流した涙は本当に何事にも代えられないと思う。
先日パーティーコンパニオンの仕事をしたときに
50代くらいの経営者のおじさま達が「昔はカエルを風船のように膨らまして遊んだ」、とか
「カエルの足をエサにしてザリガニを釣った」という話で相当楽しそうだった。
でも、ああいう子供時代の昆虫などの残酷な犠牲があって、
命の大切さを学んだともおっしゃていた。
最近の子供は生き物と接する機会もぐんと減ってしまった。
身近な生き物といってもおうちの中で昼夜を過ごす
洋服を着たワンちゃん達だから残酷な犠牲なんて絶対ありえない。
それとは反対に、ゲームの世界では命はどんどん抹殺されてはまた新しい命が生まれてくる。
たまごっちのキャラが死んでしまっても、
ムスメはあーあ、と思うだけで泣かなくなってしまった。
子供を育てていく上で、いろいろな伝えたいことがうまく教えてあげられなくて、
たまにどうしていいかわからなくなる。
そんな中で、カブトムシ君、君の今回の功績は非常に大きいのである。
ここに感謝状を贈りたいと思います。
ありがとう、またいつかどこかで。
by idu_ism
| 2006-10-05 22:47